信用スプレッドを万一に倒産したときの損失率と単純に見なせば
信用スプレッド=倒産確率(PD)×(1-回収率)
=倒産確率(PD)×損失率(LGD)
で表せる。この式を利用して、例えば、イールドスプレッドが0.02で損失率が60%と仮定すれば0.02=PD×0.6 から PD≒3.33%と倒産確率を大ざっぱに計算できるが、一般的にクレジットスプレッドなどのデータはよほどの大企業でないと入手できないので、あまり実用的な方法とはいえない。それに比べると企業の財務諸表データはまだ入手できる可能性が高いので財務データを使って簡便に倒産確率を推定する方法を考えてみる。
倒産に至るにはいろいろな理由が考えられる。売上がなくなれば当然に経営は立ち行かなくなる。売上が50%も落ち込んで回復しなければ、やはり早晩に行き詰ってしまうだろう。そう考えると売上高の変化は倒産の可能性を説明する変数と考えることができる。営業利益に比べて金利負担が大きいような場合は少し売上が減っただけで経常損失となる可能性が高い。そこで営業利益と受取利息・配当金の合計を支払利息で除して求めた倍率(インタレスト・カバレッジ・レシオという)も倒産の可能性を説明する変数と考えられる。利益も安定しボラティリティが小さいことや損益分岐点が低いことなども重要だろう。データの入手は困難かもしれないがROA(事業利益/総資産)がWACC(加重平均資本コスト)をどの程度上回っているかなども注目されよう。一般的に格付け会社等が重要視すると予想される財務指標をリストアップして説明変数を絞り込めば誰でも自分のアイディアで倒産の確率評価モデルを定式化することができる。
例えば、常識的に考えると、自己資本比率が高い企業よりは自己資本比率が低い企業のほうが倒産の確率は高いと考えられる。特に債務超過で自己資本比率がマイナス値なる企業の倒産確率はかなり高いと考えられる。実際に倒産した上場企業の倒産直前期の財務諸表を見ると自己資本比率は低く、インタレストカバレッジレシオも低い事例が多い。そこで、誰でも思いつくことは、これらの財務指標を組み合わせれば何らかの倒産確率が計算できないかということである。倒産確率の求め方の一つの簡便な方法としてプロビットモデル、ロジットモデルがある。
プロビット・モデルやロジット・モデルは倒産を説明すると考えられる変数を使って倒産確率を推定するのに便利なモデルで、0から1の範囲で倒産確率を推定するので直感的に理解しやすいモデルである。
例えば次のような定式化を考えるとする。
実際に観測することはできない指標 I を次のように定義する。
I = 定数(C) + β1 ・自己資本比率(R) + β2 ・インタレストカバレッジレシオ(ICR)+ 誤差項
Iは観測不能の指標であるがある定数Cとβ1 ・Rとβ2 ・ICR合計で説明され、説明しきれない部分は誤差項となり、それは正規分布をすると仮定する。
この I が、ある値(これも観測できない値)I* を超えていれば非倒産の状態で、下回れば倒産と考え、従属変数yについて倒産を0、非倒産を1とすると次のようなモデルができる。
倒産確率=1-(y=1となる確率)=1-F( C+β1R+β2ICR )
ここで、Fは累積正規分布を示す。ここでは、誤差項が正規分布をすると仮定しているのでプロビットモデルとなる。
実際の過去の倒産企業データからβ1とβ2およびCを推定すればプロビットモデルの係数が推定できる。そこで実験的に小売業の倒産確率をプロビットモデルで推定することにする。なお、以下の分析は実証研究といった大それたことを試みたものではないので、サンプルの抽出法や推定結果の有意性の検定などについて全く考慮していない。ここでの目的は単に分析の手順を示し、誰でも容易に倒産確率の分析ができることを示すことにある。
平成12年から平成13年の間に倒産した小売業に属する上場企業5社を任意に選び、倒産直前期末の財務データから自己資本比率とインタレストカバレッジレシオ(ICR)を試算したところ次のようになった。
倒産 日 | 会社 | 自己資本比率 | ICR |
2001年9月 | M | 15.50% | 1.14236025 |
2000年2月 | N | 5.60% | 1.02979304 |
2001年9月 | H | 28.30% | -0.4192361 |
2000年12月 | K | 12.70% | -8.0454221 |
2000年7月 | S | -78.70% | 0.58308016 |
同時期の非倒産の小売企業の財務データから自己資本比率とインタレストカバレッジレシオ(ICR)を計算すると以下のデータが得られた。
会社 | 自己資本比率 | ICR |
1 | 11.40% | 2.3 |
2 | 13.70% | 1.93 |
3 | 30.25% | 2.426 |
4 | 34.06% | 5.496 |
5 | 54.24% | 7.76 |
6 | 52.23% | 6.05 |
7 | 35.61% | 6.31 |
8 | 36.47% | 5.195 |
9 | 59.70% | 22.36 |
10 | 46.80% | 18.92 |
11 | 34.30% | 3.21 |
12 | 33.40% | 3.53 |
13 | 47.70% | 3.91 |
14 | 38.10% | -3.65 |
ここで倒産企業5社と非倒産企業14社のデータが揃ったので、プロビット分析を試みる。
このようなサンプル抽出の仕方については倒産企業と非倒産企業の数が同等でないという批判もありうるが、もともと倒産企業サンプルは少ないのが常でありどうしても標本抽出が比例的にならない。計量経済学者の故マダラ(Maddala)によれば通常のロジットモデルでは標本抽出比率が異なっていても説明変数の係数の推定に影響はないとしている。標本抽出比率が不均等であることは必ずしも分散不均性を引き起こすとは限らない。またプロビットモデルや線形確率モデルでも係数の推定には不均一な標本抽出比率によってあまり影響は受けないとも述べている。(計量経済分析の方法 GSマダラ 著 和合肇訳 シーエーピー出版株式会社 1996)
データが揃い、モデルも定式化できたので、あとは係数を推定するだけである。一例としてフリーの統計ソフトRを使って19社のデータでβ1とβ2およびCを推定すると次のようにな結果を得る。なお、倒産識別指標として倒産企業を0、非倒産企業を1として分析している。従って倒産識別指標がゼロに近いほど倒産確率は高く、1に近いほど倒産確率は低くなる関係となる。
## Call:
## glm(formula = z ~ x1 + x2, family = binomial(link =
"probit"),
## data = dyall)
##
## Deviance Residuals:
## Min
1Q Median 3Q
Max
## -1.5934 0.0000 0.0026
0.0669 1.1268
##
## Coefficients:
##
Estimate Std. Error z value Pr(>|z|)
## (Intercept) -2.1174
1.8853 -1.12 0.26
## x1
0.1020 0.0824 1.24
0.22
## x2
0.4480 0.4313 1.04
0.30
データ数が少ないので 有意性の検定などは無視して、とりあえず、上記の係数の推定結果を使うと
倒産確率 = 1-F( -2.117 +0.102・R +0.448 ICR) を得る。
試みに、この算式に2000年2月に倒産したN社の自己資本比率とICRの数値を当てはめると
-2.117+0.102×5.60%+0.448×1.02979304 =-1.0845
この数値は標準累積正規分布のx軸上の数値なので、それに対応する確率を求めるにはExcelの統計関数 NORM.S.DIST を使って計算する。すると、
F(-1.0845)=NORM.S.DIST( -1.0845,TRUE) ≒ 0.139 となりゼロに近い。
倒産確率は1-0.139=0.86と推定される。
Rではpredict関数を使って各サンプルについて上記の計算結果を出力してくれるが指標値がゼロの近いほど倒産確率が高く、1に近いほど倒産確率は低いことを意味している。(倒産企業の指標値として0を与えているため)そこで倒産確率を求めるときには1-予測指標値 で計算する。もし予測指標値が1であれば1-1=0で倒産確率はゼロと推定する。
このように、計量経済分析ソフトがあれば、誰でも独自の倒産モデルを定式化して倒産確率を算定することができる。最近では 統計ソフトR が広く普及してきており、関連書籍も多く出版されている。さらに著名な計量経済学のテキストの中で例示されている計量分析がRで再現できるライブラリーも多くなっており、プロビット、ロジット分析のR コードも独学で習得できる環境になっている。
上記のデータについてRのライブラリーMASSを使った判別分析、プロビット、ロジットその他分析の手順例とMASSを使わないで通常の多変量解析のステップによるプールした分散共分散行列から判別関数を求めた結果とを比較してみたが、なにぶん素人プログラマーなので大変に冗長になるので、(Rによる判別分析ロジット分析等)に別ページにまとめてみた。
金融機関や信用調査会社などでは独自に大規模なデータベースを構築しており、大学や研究機関等と提携して複雑なモデルの開発に取り組んでいるが、一般の中小規模の会社でも工夫次第で簡便に倒産確率を試算することが十分に可能である。モデルを作るうえで個人や一般企業が直面する最大の難所は財務データの入手であろう。倒産企業が公開会社であれば過去の有価証券報告書などを図書館などで調べるとができるが、非公開企業の場合には財務データを入手することが大変難しいか全く不可能なこともある。倒産企業が決算公告を新聞に掲載していれば縮刷版やデータベースで調べることも可能であるが、大変時間がかかり、また決算公告では要約された貸借対照表と損益計算書のために説明変数うに使える財務指標も限られてくる。それでも公告があれば、自己資本比率や流動比率、総資産回転率、ROA、ROEなどは計算可能なので、モデルをうまく定式化することで独自に倒産確率を算定することができる。ここで注意すべきは、このようにして算定された倒産確率は、大雑把な予測値に過ぎないので数値そのものに余りこだわらないようにすることである。海外の信用リスク分析の学者の中には数理モデルによるキャリブレーション(注1)(calibration)をguesstimate(guess + estimate の造語)と呼んでいる人もいるくらいなので、あまり計算数値そのものを絶対視せずに倒産確率の変化を定期的にモニタリングし、その方向に注意すべきで、一定期間の傾向を見て上昇傾向にあれば要注意の一つのシグナルみるくらいが良いのかもしれない。取引先についてこのようなシグナルをモニタリングすることは一般の企業でも有用と思われるが、さらに詳細に調べる必要が出てきた時には専門調査機関に依頼すればよいわけである。いずれにしても一般企業が自社以外の企業分析をすることはデータ入手等で難しいが、自社について詳細な分析することは容易なので、何か適当なモデルを作ってみて自社の倒産確率を試算して、自社が外部からどのように見られるかを推測しておくことは有意義だと思われる。
(注1)キャリブレーション(calibration)はどのように翻訳するのか不案内であるが、理論的に数理モデルを作成して、そのモデルで実際値をうまく説明(近似)させようとする。その場合にモデルのパラメーターを理論計算値と実際値の差が最小になるように推定あるいは調整することをキャリブレーションと呼んでいる。数理計画法や最尤法等で適当なデータがあればパラメータの推定は可能である。ただし、理論モデルそのものが現実に適合していなかったりすると誤った結論を出しかねないといったモデルリスクは避けられない。
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マートン・モデル(Merton
model)による倒産確率PD
(予想損失EL(Expected
Loss)、EAD(Exposure at default)、LGD(Loss given default)など)
プロの統計学者による本格的な倒産確率の統計モデルを学びたい場合には、優れた専門書が多数出版されているので、十分に独学できる環境にある。その一例を挙げれば、Rを使った計算例でロジスティック回帰(多変量モデルを含む)を詳しく取り扱ってる邦訳書として
落海 浩・首藤 信通(訳) (2018) Rによる 統計的学習入門 朝倉書店(Gareth James Daniela Witten Trevor Hastie Robert Tibshirani An Introduction to Statistical Learning: with Applications in R Springer)
がある。ここでは模擬データ(simulated data)であるが消費者のクレジット平均残高、所得等の変数でRによるロジスティック回帰の事例分析が説明されている。Rが使用できる環境にあれば、www.r-project.org からpackage ISLR をインストールすればデータとマニュアルが読めるので簡単な分析の雰囲気を味わうことができる。