配当割引モデル、ゴードンモデルなど各種の方法で理論株価が算定できるが、この時に適用する資本コストをどのように推定するかが問題となる。その一つの方法としてCAPMを応用して資本コストを推定することが考えられる。CAPMでは、
個別株式iの期待収益率Ri(株主の必要収益率)は
Ri = Rf+βi(Rm-Rf)と表される。
ここで、市場ポートフォリオの期待収益率 Rm
リスクフリーレート Rf
市場リスク感応度(市場ベータ) βi
Riを資本コストとして使う場合に上記のCAPMに従ってβ値を推定する。例えば、無リスク資産利子率が0.1%、A社の市場ベータが1.1、市場ポートフォリオの収益率が5.1%とすればA社の株主の必要収益率(資本コスト)は CAPMによれば 0.1+1.1×(5.1-0.1)=5.6%と計算される。ベータはリスク尺度と考えられベータが大きいほどリスクも大きいことを表しているので株主の資本コストも大きくなる。なお、CAPM(資本資産評価モデル)の詳細はエクセルでCAPM(資本資産評価モデル)で扱っている。一般的には、 市場ベータは個別企業の投資収益率を市場全体の動きを表す指標、例えば株価指数などを説明変数として、その感応度を回帰分析して推定する。得られた回帰係数は市場ベータと呼ばれている。非公開会社などでは市場ベータは計算できないので、個別企業の利益変動を市場の全企業の利益の変動と関連性で算出する方法も考えられる。統計的には個別企業の利益を被説明変数、何らかの全企業の利益を代表するような指標を説明変数として回帰分析を適用して計算できる。求められた回帰係数は、市場の全企業の会計利益が1だけ動いたときにそのベータ倍だけ当該企業の利益が動く感応度を表しており、これを会計ベータと呼んでいる。会計ベータもリスク尺度の一つと考えられる。
例えば、個別企業の一株当たり利益(EPS)を被説明変数とし、市場平均の一株当たり利益を説明変数として、回帰分析を行うことが考えられる。下記のような単純回帰モデルで係数βを推定するとβは当該個別企業の会計ベータと考えられる。
個別企業EPS=α + β・市場平均EPS
同様の方法で個別企業のROAと市場平均ROAの間の会計ベータを推定したり、あるいは個別企業のROEと市場平均ROEとの会計ベータを推定したりすることも考えられる。会計ベータと市場ベータとの間に正の相関が高ければ会計ベータもリスク尺度の一つとして利用可能だろう。
公開企業の市場ベータのデータが入手できる場合には例えば下記のようなモデルを作り、市場ベータと財務指標の関連を回帰分析で推定することも可能かもしれない。
市場ベータ=α+β1・負債比率+β2・利益成長率+β3・営業利益の変動性
市場ベータが負債比率、利益成長率、営業利益の変動性などの財務指標でうまく説明できる回帰モデルが推定できれば、そのモデルを使って非公開会社の財務指標をあてはめることにより非公開会社の市場ベータを推定することも考えられる。新規上場企業や非上場企業については過去の株価データが入手できないので、会計ベータは市場ベータの代替的数値となりうる。学術研究などでは会計ベータと市場ベータの相関がみられるということが報告されている。このようにしてβ値が推定できれば資本コスト(株主の要求利益率)も算定できるが、十分に整備された財務諸表データベースが自由に利用できる環境にあることが前提となる。
統計ソフトRのパッケージでXBRLを使って金融庁のEDINETから公開企業の財務データを取得する方法もあるようだ。Rのパッケージのtermstrcは米国やEUの国債価格データから利回り曲線を推定することを試みているように、公開財務データについても類似のパッケージが開発されれば便利だと思う。最近話題になっている生成AIはデータ収集、抽出、編集は得意とするところだろうから近い将来には公開財務データについて時系列分析や業種別のクロスセクション分析を比較的容易にできる時代が来るかもしれない。そのような時代になれば、現在は税理士、会計士、証券アナリスト、経済アナリスト、データサイエンティストなどと職種が区分されているが、その境界線はなくなってくるかもしれない。
たとえば賃上げ促進税制の影響を分析する時にはマクロ経済ではマクロ同時方程式モデルを作りシミュレーションが行われる。証券分析や財務分析では個別企業の経営成績に及ぼす影響を分析するために企業の財務モデルを作りシミュレーションが行われる。それぞれのシミュレーションで使われるモデルを構築する際には税理士レベルの賃上げ促進税制の条文の正確な理解が必要となってくるだろう。シミュレーションを行ったり、その出力結果を分析するにはデータサイエンティストレベルの統計学などの知識も必要となってくるだろう。会計関係の専門職も学際的(interdisciplinary)アプローチがますます必要となってくるだろう。
会計専門職の未来にとっても重要なことなのでもう少し具体的な事例で考えてみる。例えばxとyのデータセットx=(-1,-0.5,0.5,1) y=(0,0.86,0.86,0)を得たとする。xとyについて相関係数を計算すればゼロとなる。単純に相関分析で判断すればxとyは関係性が低いと考えるのはやむを得ない。しかし、たねを明かすとx2 + y2 =1 に従ってxとyのデータセットは作られている。つまり円グラフになるような非線形の数式から得たデータで、相関係数では関係性が明らかにできないが、歴とした円方程式で表される関係にある。もう一つよく引き合いに出される話しとして身長と体重の相関関係がある。2者に相関関係があることはよく知られているが、2者の因果関係の話になると異なってくる。身長を高めるには体重を増加させればよいという因果関係は認められない。このように表面的な相関分析や回帰分析だけでは関係性や因果関係を分析することは難しい。非線形の関係がありそうだとか、何か因果関係がありそうだとかに気づくためにはそれぞれの分野の専門知識が必要となる。生物学や医学の専門知識があれば 身長と体重についても多角的な分析ができる。会計や財務に関することも同様で、会計や財務の理論やルールだけでなく現実の実務慣行、業界や企業の行動習性などを熟知かつ習熟している会計専門家の知見が加わることで複雑な非線形の関係性が解明できると期待できる。